優良児童回想録

おにぎりはツナマヨ

やっぱり?

 

自分は世の中の「ちょっとした不幸」を背負って生きてると、なんとなく気付いたのは小学生のとき

 

なんかおかしい。

みんなと一緒に過ごして

みんなと一緒のことしてるのに

自分だけが上手くいかない

 

昔からそういう人生だった気がする、そしてそれが当たり前だっただけに、心からそういうことたちに対して絶望したことは無かった

自分は多分、誰よりも人間的に可哀想なんだろうなと思う

 

自分はみんなの不運を吸い取ってあげてるのかもしれない。そう思えるようになったのはここ最近のこと。「吸い取ってる」という表現をしたのは、自分単体が単純に出来損ないなのではなくて、やっぱりみんなのちょっとずつの不運が回ってきているような感覚がバッチリあるから。言葉にはできない。昔はいつも一生懸命なのにいつもできなくて、馴染めなくて、ダサく言うと「ついてない」。でもそんなに大きなことじゃないから普通の顔して過ごしていける、みんなも笑うだけで深刻な話にはしない。悲しいけど飲み込んでたんだと思う。

 

高校時代のある日、友達と遊んでいたとき

私にびっくりするようなことがおきた。まわりの友達は笑っていた。1人の友達が言った。「あんたってなんか持ってるよなあ、なんかあるよな?」

ああ、やっぱり?

わかってくれてうれしい。

ありがとう。

 

今になってスカして生きてる身としては、そういうことが少なくなった気がする。いや、というよりは隠せまくってると言った方が正しいなあ。出来ることしかしない。人とあんまり関わらずに、ボロを出さない。私は普通に見られたくて毎日必死である。( ˘-˘ )それが故にツンとした表情になってしまって、中高時代とは全く別の印象を持たれるようになった。特に、恐らく周りからすると「イジりにくい奴」になった。

良いも悪いもない。だが昔担任の先生に言われた「イジられると良いあじがでますねえ」という言葉をどこか遠くに放り投げてしまったかもしれない。

人にはいろんな一面がある。ついてるときついてないとき、イジりやすくてもイジりにくくても全てが私となってるし、総合評価してやっぱりついてなくても、私はその不運たちとそれなりに穏やかにやっていきたい。

 

 

ドロン💣