優良児童回想録

おにぎりはツナマヨ

生きる

「生きることは、戦うことです。」

昔、西遊記を観てたとき、三蔵法師がそう言ったのをよく覚えている。あまりにも真っ直ぐな目で言うもんだから、子供ながらに印象に残っていた

 

生きることは、戦うこと。

 

それが本当なら、わたしはここ2年くらいは死んでいる

目の前のことに精一杯で(といっても特に努力もせずただつらいめんどくさいと時が経つのを待っているだけ)、能動的というよりかは、受動的。というよりかはというよりかは、かなり受動的。

朝起きて、

支度をして、

学校に行って、

出される課題やぶつかる問題に、苦難しながら、なんとか、ギリギリ、やってる。

そんな毎日の中で、思考を停止して生きるのが楽な中で、あえて戦うを選ぶのは、なかなかできない。

わたしは元々すごく怠け者体質で、兄弟の中でも特別ぐうたらするのが好きで、よく笑われた。そんなわたしはいま、生きているのではなく、呼吸しているだけなのかもしれない。

 

戦え、勝ち抜け、1番になれ、

臆病なわたしが、憧れるけど、困る言葉達。

わたしにはハングリー精神が足りない。

だけど、「戦うこと」の意味は、炎のようにメラメラと燃え上がれ、と、そう言う意味だけではきっとない。

粛々と自分に負けるな、強くなれ。自分の弱い心に飲み込まれるな。

わたしはそれを目指そうと思う。

 

いつかわたしも

三蔵法師のような強い眼差しで、胸を張って、「生きている」と言いたい。

お兄ちゃんの入籍

 

 

録画してたR1観ようと思ってこたつに座った。横向いたら壁掛けのカレンダー、今日の日付のところに「だんくん入籍」って書いていた。お母さんの字。お母さんは家族の予定を昔からリビングのカレンダーに書き込む。あ、そうなんだ。今日なんだ。いま0:08分。さっきから今日は今日になった。

私のお兄ちゃんは3人いて、その中でもだんくんは1番仲良くしてくれた。面白くて頭が良くて、行動力があって、家族の中でも頼りにされてた。わたしの人生の革命、「高校時代ドライブ編」は、だんくんがいなかったら無かった。確実に。

だんくんを初めて家族ながらに変な人だなと思ったのは『よりのり探検隊』を教えこまれたときだった。小さい時からより。とかのり。とかブツブツ言ってただんくんは、私にもそれを強要してきた。「お前は家族の中でも、よりのりを受け継げるたった1人の人材や。」と言って、ある日よりのり探検隊の発祥について話してくれた。未だによく分かってないが。他にもだんくんの伝説は数えきれないほどある。(すべてだんくんから聞いた本当か分からない話)

だんくんは何を考えてるのか全くわからない。小さい頃からラジオをずっと聞いてたからか、お笑いとか言葉とかに詳しい。ただ一緒にいたらちょーワクワクするのと、友達が多すぎるのと、行動力が凄まじいことはみんな知っている。小学校から中学校にあがるときに引っ越して、入学式で「だんはどこにおるんや!?!?」って騒ぎになったり、月2で結婚式に行ってお祝儀貧乏になったり、だんくんを見てると人生を楽しんでるなあ……と遠い存在のように思う。でもだんくんは、いつも、「おい!いくぞ!」といって目的地も告げずに私たち妹と弟を連れ出してくれてた。みんなだんくんが好きだ。私を創ってくれた音楽たちも、ぜんぶだんくんが教えてくれたものである。The Girl on a boardは、わたしたちの約束の曲。全てにおいて一曲目の曲。

だんくんが大人になって家を出たときから、わたしは確実に何かが欠けて、そこだけずっと埋まってない。好きな人も、大事な友達もいて、その各々の枠は全部きっとちゃんと満たされてると思う。でも、だんくんが家を出て日課のドライブが無くなって、その頃から、だんくんの枠だけじゃない色んなところに冷えた空気がすこしだけ浸透して、何年も変わっていない。すこしだから支障はないけど、絶対にわたしは埋まってた頃には戻れない気がする。この埋まってない部分は、いつか大丈夫になるのでしょうか。よりのり探検隊、わたしのこころも探してください。そしてだんくんは、誰よりも幸せになってください。

ネバヤン聴いて好きだった人のこと思い出した

 

適当にプレイリスト回して聴いてたらネバヤンの新曲にあたった。新しいアルバム出したんだ。前付き合ってた人のこと思い出した。付き合ってたときは知らない曲なんてなかった。元々私はバンドを聴かないし、ネバヤンも知らなかったけど、好きだった人が、好きだったから。だから、聴くようになった。2人でDVDもみた。ライブのやつ。そう言えば好きだった人はボーカルのモノマネをよくしてたな、あれ、名前も忘れてしまった。ボーカルの人の名前。なんだっけ、こんな日が来るなんてなあ。あ、あべゆうまだ。そう、こんなふうにひらがなでラインで送りあってたな。あべゆうまのインスタがどうとか。変なふたりだな。懐かしいな。いつかフラっと家に行ったりしようかなとか考えてたけど、それも出来なくなってしまったな。あーあ、だいすきだったな。思い出は、だいすきだな。初めてひとりで飛行機に乗って行った、私の最初で最後の人生の番外編。学校もバイトも全て置いて、自分の体とキャリーバックだけを持って行った幼くて勇敢な、愛おしい過去の私。言葉にしたら簡単で困るな。大袈裟だよなんて笑われてしまうだろうな。目を閉じたらいつもそこにはあなたが、優しいままでいるんだ。

節度ある 愛

 

 

適度な距離ってなんだ。

私は目の前にあるもの全部欲しくなる。表現がむつかしいけど、吸い取りたくなる。

だから少しづつ少しづつゆっくりの人、いいふうにいうなら「愛を大切にしてる(これを言う奴はまっぴら嘘つきで、そんなふうにいって自己満足してるだけ)」、悪い風にいうなら「愛に興味が無い」人をみるとなんだかしょーもないなあと思ってしまう。

 

『長続きするカップルの秘訣は、お互い自分の時間を持つこと!』

よく見る。

「あのカップル長続きしてるよね」

よく聞く。

うーん。。。。。。違和感。

交際って、「長続き」って、愛ってそんな契約みたいなものかな。好きになって、好きになられる。もしくは、好きになられて、好きになる。はたまた、バッチリ、同時に好きになる。もしくは、勝手に好きでいる(これはこれでなんかいいね)。それがなんで、続けた方がいいようになってるんだろう。勉強でもないのに、なんで何回も考え直さないとダメなんだろう。そこにある責任なんて全部まやかしだ。だから、無理に好きを造らなくていいのに、好きが変わるのは楽しいことだとおもうし、哀しくてもそれを抑えるのって可能性を潰してるような気がする。私はそういう考え方しかできない。

 

別に大恋愛をしたいとかしてきたとか私にそんなご立派なことはないけど、私の愛に節度はないよ。夜中に好きな人に会いに飛び出すのがなによりも興奮するし、それが私にとっての幸福で、夢で、希望だから。そのために生きてるから。溺れるような愛を知ってるあの子みたいに、私は飛べそうな愛を知ってる。きっと。

音楽回想

 

音楽って、音楽って、

ビデオみたいだナ

どの曲も必ず思い出がセットでついてて、特に思い出が濃く絡んでるものほど飽きという概念が、ない。再生ボタンを押して短い映画を「回想」してるような感覚になって、聴く度に当時の真ん中に戻る。真ん中から固まって動けなくなる。夜中のドライブで毎回1曲目に流していた 好きだった人と別れた後に聴いた 同級生と学校の自習室で歌った 好きな人に会いに行く時に聴いていた  

いっこいっこに、いっこいっこ ある。みっつよっつひっついてるのもあるね。楽しくなれる曲ほど想い出が無かったりする。空っぽだから踊れる。これからだから歌える。だから、聴くのを躊躇うものも、勇気がいるものももちろんにある 

みんなの音楽回想を覗ける世界があったら面白いなあ

 

ドロン💣

 

もう、私はわたしが分からなくなってしまった

 

 

。分からなくなってしまった。

 

みんな、心というものは複雑で当たり前。心は簡単じゃないから。こころだもん。でも、わたしの心はみんなより複雑の数が多いんじゃないか?そんな気がする

 

いつも私は困っている

わたしが出てきそうで

わたしが全てをさらっていく

目の前にある楽しいも 嬉しいも ありがとうも おめでとうも

さらっていく